いけちゃんの悪戯

日々のことをツラツラと綴るブログ

慰めのない毎日に。またはカズオ・イシグロ『充たされざる者』

2019年に入り、カズオ・イシグロばっかりを読み耽っていました。今日はその中から特に印象に残った、個人的にもっとも好きになった一冊について。つまるところ『充たされざる者』について何か書けたらなと思います。

 

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

 

 


と、とにかく、長い!

この小説とにかく長いです。書店で何気なく手にとって「パラパラー」っとする気概を削ぐくらい長いです。おおよそ900ページほどですが、本書以前の『浮世の画家』とかブッカー賞を獲った『日の名残り』に比べても軽く2倍以上あるボリューム。

軽い気持ちで読み始めると挫折しそうです。(ちなみに私は、今回読み終えるまでに2回挫折しました。今回はなぜ通読できたのだろう...?)

もちろん、このボリューミーさが本書を貶めていることにはならない。むしろ、そのせいか彼の作品群の中でも独特の存在感を放っているし。ただ、最初に読むイシグロ作品に選んでしまうとやっぱり挫折しそう。まあ、挫折そのものが悪いこととは、口が裂けても言えませんが。

 

「慰め」はどこにあるのか

この『充たされざる者』、あらすじとか詳しい内容とかはすでに各所いろんな方面の方がまとめてくださっているので、より詳しく知りたい方はご自身で調べてみてください(自分でまとめるのメンドくさい)。

本当に簡単にまとめると、ライダーと名乗る世界的ピアニストがどこか中欧らしき都市に招待され、「木曜の夕べ」なるリサイタルでスピーチ、演奏することになっている。このリサイタルは、街の再興を賭けた一大イベントらしい。が、様々な街の住民がライダーに頼みごとやらなんやらと寄ってかかり、一向に「木曜の夕べ」へは話が進みそうにありません。

もし自分がライダーだったら、この街にいて即発狂するところです(だって、ライダーが「1」言ったら、あらゆる住民が「10」のボリューム、内容で話し返してくるんですもの)。

そりゃ話進まないし、「みんな勝手すぎでしょ!」ってツッコミたくなるし、正直イライラしますが、そんな住民全員の相手をしてあげるライダーもまた罪な男なのです。

 

さて、結局のところですが、ライダーは何一つ計画通りにことが進まず、このお話は終わってしまいます。なんて救いのない話なんでしょうか。

ただ、この『充たされざる者』、原題は『The Unconsoled』で、直訳すると「慰めのない何か(ヒト?モノ?)」になります。そして、登場する人物それぞれが何かしら傷を抱えて生きているようです。そんな彼らへの「慰め」が一体どこにあるのかは、またこれからのテーマというかまたいつか読み直してみて「これだ!」と思える解を見出せたらと思ってます。

 

ただの慰めにすぎないけれども

本書の中で、一番好きなところを挙げろと言われたらやっぱりラストの部分ですね。結局何一つ達成することができなかったライダーが電車に乗って、次の目的地ヘルシンキへと向かう場面なのですが、ここでズタボロになった彼に投げかける電気技師さんの言葉がなんとも涙をそそります。

 

「なあ、いつも最悪に思えるのは、それが起きているときさ。だが、過ぎ去ってみれば、なんであれ思っていたほど悪くないものだ。元気を出しなさい」

わたしが相変わらずすすり泣いているそばで、彼はしばらくそんなただの慰めにすぎない言葉を口にしつづけていた。それから、彼がこう言った。

「さあ、朝食でも取ってきたらどうだい。何か食えばいいんだよ、わたしたちと同じように。そうすればきっと気分がよくなる。さあ、行って何か食べ物を取ってきな」

 

ふと、顔を上げると、電気技師はひざの上に皿を持ち、その上に食べかけのクロワッサンと小さなバターのかたまりがのっていた。ひざの上はパンくずだらけだ。

 

こんな言葉をかけられたら、正直泣くしかないです。本当に美しいシーンです。

この場面から、レイモンド=カーヴァーの『ささやかだけれど、役にたつこと』を思い起こしました。

本当に小さなことで、慰めにすらならないけど、この世のどこかでは今日もそんな小さな慰めが彼らの毎日を支え続けているのかもしれない。

※これもまた、いつか読み直したい。

 

カズオ・イシグロ作品は「記憶」とか「過ぎ去ってしまった過去とどう向き合うか」とか「信頼できない語り手」とか、色々な切り口、テーマのある作家ですが、今回のエントリはこんな感じで。(また機会と体力があればいろいろ書きたい)

また、今年もいろんな面白い読書体験ができるといいなぁ。

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※2 近所のカレー屋にて。