いけちゃんの悪戯

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【感想文】武者小路実篤『友情』-生きるスタンスについてのメモ-

波は運命で、人間がそれにうまくのれると何んでも思ったように気持ちよくゆくが、一つのり損なうといくらあせっても、あわてても、思ったように進むことが出来ない。賢い人だけ次の波を待つ。そして運命は波のように、自分たちを規則正しく、訪れてくれるのだが、自分たちはそれを千に一つも生かすことが出来ないのだ。 

 世の中には、一目見ただけで心が震える文章が存在する。上の引用は、武者小路実篤の『友情』から。今年に入ってからカズオ・イシグロやらカート・ヴォネガットやら高野秀行さんの読み漁っていただけに、久々の国内小説は身に沁みた。海外小説ももちろん大好きだし、今年もたくさん読もうと思っているのだけど、やっぱり日本語原文のもつ美しさとかって翻訳では生み出せない部分なのかなーって思いながら読んでいた。

 

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

 

 

さて、武者小路実篤『友情』である。

演劇の脚本家を志す野島は、友人の妹・杉子に一目惚れした。それ以来野島は彼女のことを忘れることが出来ない。少しずつ杉子と交流を重ねるたびに、ますます野島にとって杉子はかけがえのない存在のように思えてくる。そして、杉子が他の男と話していたりするたびに激しい嫉妬が野島を襲うのだ。

そんな野島を陰ながら励ますのが、親友の大宮である。彼はすでに新進気鋭の小説家として世に出ていた。大宮は野島のことを思い、彼が杉子と一緒になるように立ち居振舞うが結局図らずも大宮と杉子は結ばれてしまう。

 

本作は、上篇・下篇の2部構成なのだが上篇は野島の杉子への妄想ワールドが全開で描かれており、下篇は大宮・杉子の告白形式となっているのだが僕は断然上篇が面白いと思う。それはなぜかと言うと、個人的に野島にめちゃくちゃ共感できたからなんですよね。

人は理想を作り上げてしまう

彼は女の人を見ると、結婚のことをすぐ思わないではいられない人間だった。結婚したくない女、結婚出来ない女、これは彼にとって問題にする気になれない女だった。 

 この主人公野島の性格(ていうか性向)って僕自身めちゃくちゃ共感できるんですよ。てか、今まで付き合ってきた人とか好きになった人って基本的に「この人しかいない」「この人と結婚するつもりだ」という気持ちがどこかにあったからだ(当時の相手にとってはまことに迷惑千万な話ではあるが)。この気持ちに共感してくれる人が他にも少なからずいることを希望している。

でも「この人しかいない」とか「この人自分はいつか結婚するのだ」っていう精神っていい言葉にすると「まっすぐ」って言葉で片付けられるかもしれないんだけど、その根底には「淋しさ」とか「孤独」とかそれによる独占欲・支配欲があると思うんですよね。結論すると、やっぱりあまりいいもんじゃない。

だけど、それでも人は人に恋し、得られないものを理想化し、美化し、追い求めてしまう生き物だ。恋する人が相手を極端に理想化することをスタンダールは『恋愛論』のなかで「愛の結晶作用」と呼んでいるらしいが、聞こえと裏腹になんとも迷惑な性情だとも思う。

 

では、我々はどうするのかというとやっぱり前に進み続けるしかないと思うんですよね。そして、いざ運命の波が押し寄せて来たときにそれを幸運にも乗りこなす準備をしておく。今後の人生で僕はそういうスタンスをとって行きたいと切実に考えている。

大宮と杉子は運命の波に乗っていってしまった。野島は波に乗り損ねた。次の波を「淋しさ」と「孤独」とともに待たねばならない。

それを考えると最初に引用した「自分たちは運命の波を千に一つも生かせない」っていう言葉はけっこう悲観的だ。ま、だからこそその一文が美しいわけなんですけども。

まとめ:夢なんていつまでも追い続ければいい

夢とか理想って誰にでもある欲望だと僕は思うんですけど、それを追い求め続けるのって本当に難しいことなんじゃないかと最近考える自分もいる。それって世の中がどんどん便利になって、自由になっていろんな情報とかハウツーとか選択肢があるからこそ、「これだ!」って決断するだけで途方もないエネルギーを使うから。

(その分、前回のエントリで書いたブータンの人々の暮らしはその選択肢が自然と狭められていて、相対的に幸福度が高い。ま、その幸福もカラクリの部分は多いんだけどね。)

だけど、僕たちは自由で便利なパンドラの箱を開けてしまったわけで、なんとか腹くくって限りある生のなかで前に進み続けるしかないと思っている。

偉そうなこと言ってしまったが、それがいま自分が毎日を幸せに生きるスタンスとして一番健全な生き方だと勝手に思って(思い込んで)生きている。

 

全国の野島に光あれ!