いけちゃんの悪戯

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【カンボジア/2】無限のわからなさのままにどう向き合うか

カンボジア旅行途中報告です。シェムリアップからバンに揺られること5時間、首都プノンペンに到着しました。どうでもいいですが、実は海外を飛行機や列車以外の方法で長時間移動するという経験がなく、けっこうギリギリまで飛行機を使うか迷っていたのですが、勇気をだしてバンで移動です。結果、大きなトラブルもなく(どこで降りればいいのか全くわかんなかったけど)目的地まで着けたのでこれからも気が向けば利用しようと思う。飛行機とかと比べて安いしね。

 

ということでプノンペンに上陸したワケですが、今回の旅行の一番の目的地、僕がもっとも行きたかった場所がそこにはあります。それはトゥールスレン虐殺収容所とキリング・フィールドという2つのポイント。この二ヶ所、カンボジア旅行を決めた後に知った場所なのですが、調べれば調べるほど「これは行かなくては...!」という思いが募っていった場所です。そこに行けば何かがありそうだ、という直感でしょうか。という訳で行ってきました。

トゥールスレン虐殺収容所(S21)

まず最初に訪れたのはキリング・フィールドだったのですが歴史的時系列にならった方がわかりやすいので、敢えてトゥールスレン虐殺博物館から追っていきます。と、その前にこの2つのポイントの歴史的背景を掴んでおくことが非常に重要なので簡単にまとめます。

およそ1975年頃、当時のカンボジアは原始共産主義者ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(通称:赤いクメール)の支配下に置かれていました。この原始共産主義とはなんぞやという 話ですが、僕が理解している範囲でまとめると、ありとあらゆる格差(経済的にも知識的にも)のない「原始時代」にカンボジアを戻すことです。そんな理想国家を建築するためにポル・ポトはまずプノンペンなど首都部にいた人々を全て農村に移住させます。また、知識層とされる学校の先生や大学教授、医師などを職業とする人々は反乱を起こす危険性があるとされ、ことごとく捕らえられてしまいます。この知識層の粛清が実際に行われた場所こそが先に述べたトゥールスレン収容所とキリング・フィールドです。ちなみに、実際は「眼鏡をかけていること」「外国語が話せること」も知識層であると判断され、捕らえられてしまったそうです。まさに狂気の沙汰以外の何ものでもないのです。

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ここ、トゥールスレン収容所はもともと学校として使われていたそうで、上の写真のような校舎と教室がそのまま拷問部屋もしくは監房として利用されていました。ちなみに写真の校舎が鉄条網で覆われているのは、収容者に飛び降り自殺をさせないために施されたものです。この収容所はクメール・ルージュの陥落する約3年間に20000人もの人々を収容したそうですが、生きてここを出れたのはわずか8人です。建物の中には当時収容されていた人たちの顔写真も数えきれないほど多く公開されているのですが、まあ見れば見れるほど気分がズシーンときてしまう。

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あとはこの教室ですよね。強烈なのは。鉄製の寝台の上には実際に使われた足枷や排泄物を入れるための弾薬箱がそのまま残されています。あとは部屋によっては、実際に人が横たわっている状態の写真も一緒に公開されているのがこれらの教室なのですが、正直異様な雰囲気で満たされています。僕は霊感がまったくない人間なのですが、「あ、このまま長時間この教室にいたらたぶんだけど狂っちゃうな」って思いました。その日は欧米系の観光客の方もたくさんいたんですけど、みなさんやっぱり、この空間には長居したくないようで一度入ったらそそくさと退場されてました。それだけでこの部屋のもつプレッシャーのようなものを物語っているような気がします。

キリング・フィールド(チュンエク処刑場)

トゥールスレン収容所でも収まりきらなかった人々は、少し離れた処刑場に運ばれたそうです。それがキリング・フィールド。夜な夜な収容所からトラックに乗せられてついた場所です。今回僕が訪れたキリング・フィールドは正式には「チュンエク」と呼ばれる土地らしく、というのもカンボジアには見つかっていない物も含めておよそ300ほどのキリング・フィールドと呼ばれる処刑場があるのだとか。今回の場所は、その中でも最大規模の処刑場チュンエクです。

この場所ではおよそ2万人もの人々が虐殺されたらしく、そのなかには女性や赤ん坊もいたそうです。そして、敷地内には中央の慰霊塔以外のかつての建造物はことごとく破壊され、開けているんですよね。きっと何も知らなかったらただの草地だと思ってしまうくらい。

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これらの窪みは、おびただしい数の死体を掘り返したあとです。もともとこの地は中国人の墓所でもあったそうですが、クメール・ルージュ崩壊後は死体から出るガスで地面が大きく膨れ上がっていたそうです。そして、その匂いですよね。当時の人が嗅いだのは。また雨季になって泥が流れるといまだに発見されていない骨とか布キレが出土して、2、3ヶ月に一度ここの管理人さんたちがそれらを拾って回っているそうですよ。本当になんの変哲もない草地なんですけどね。おそらく、そう思って素通りしてきた道がこれまでのカンボジア旅行中もあったに違いない。それだけ歴史はまだ埋もれている。

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これは通称キリング・ツリー。小さな子供や赤ちゃんはこの木の幹に叩きつけられて処刑された。捧げられた大量のミサンガが強烈なインパクトを放っている。

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そして、これが通称マジック・ツリー。ここは僕が今回観光していて、良くも悪くももっとも印象に残った場所です。当時、キリング・フィールドの周りには一般住民の人たちが暮らしていたそうなのですが、彼らには処刑場内部で行われていたことの一切が非公開でした。そして、処刑される人々の断末魔をかき消すために、このマジック・ツリーには大きなスピーカーが吊るされ、爆音でクメール・ルージュの革命歌が日夜流されていたそう。あと発電用のディーゼルエンジンの稼働音もせわしなく響いていたとか。実際にスピーカーから流されていた革命歌と発電機の音をオーディオガイドで聞けたのですが、まあ何回も聞くべきものじゃないなっていう感想です。たぶんだけど聞き続けたら僕は発狂しちゃう。あと、痛ましいのはこの時のポル・ポト政権ってかなり貧乏だったらしく、処刑用の弾丸を節約しなくてはならなかったそうなんですよね。じゃあ、どうするかといったら、近くにある鍬などの農具や棍棒でメッタ打ちにしたらしい。あとは食事に殺虫剤を混ぜて、弱ったところを墓穴に生き埋めにするとか。やっぱりどこまでも狂ってる。

無限のわからなさのままにどう向き合うか

と、もっとも行ってみたかったトゥールスレン虐殺収容所とキリング・フィールドに行けたわけで、知らなかったことを知れたわけです。が、このような圧倒的な現実を目の前にした時に自分がたち入れるのはこの「知る」というフェーズまでなんだろうな。ちなみにここでは、圧倒的な現実というのをナチスドイツのユダヤ人大量虐殺であったり、ヒロシマ・ナガサキの原爆のことをイメージして言っているわけですが、現代に生きる人たちは知識としてそれを知っている。もちろんそれらがあったことすら知らない人も世界にはいる。そして、その「知る」ということと「わかった、理解した」ということの間には途方もないクレバス(裂け目)が横たわっていると思っている。それをヒョイっと乗り越えることは不可能だし、その挾間は永遠に埋まらない類のものなんですよね。僕がちょうど大学生の頃、海外へ行き、帰ったときに何か感化されたような同級生がたくさんいた。彼らはよく自分の体験したことの素晴らしさとか東南アジアの貧しい子供たちがどうとかって語っていた気がするけど、きっと何かを「わかった」つもりになっていたのじゃないかと、今でも考える。てか、今でいうマウンティングだな、と。「いや、そんなことねぇよ!」と反論されることもあるだろうけど、反論されたらされたで仕方ないと思ってもいる。結局のところ、誰にどう言われようと自分の体験にどのような価値を与えるのかは自分次第だからです。

僕が今回キリング・フィールドを回ったとき確かに胸に迫るものがあったけど、やっぱり自分はどこまでも観光客だったし、目の前にあったのは荒涼とした草地とどうしようも無い「わからなさ」のみだ。

この「わからなさ」について、作家・理論宗教学者の佐々木中さんがライムスター宇多丸との対談の中で興味深いことを言っていて、テーマは違えど、圧倒的な現実の前に立ちはだかる無限のわからなさのままにどう向き合うかということが綴られている。これがとっても面白いのです。ちなみにこの時の特集は推薦図書特集で『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』という写真集をテーマに扱っていて、この「わからなさ」についてはまた機会を改めて何か書けたらいいなぁと思ってる。

 

砕かれた大地に、ひとつの場処を---アナレクタ3 (アナレクタ 3)

砕かれた大地に、ひとつの場処を---アナレクタ3 (アナレクタ 3)

 

 

ルワンダ ジェノサイドから生まれて

ルワンダ ジェノサイドから生まれて

 

 

 話が変わりますが、やっぱり今の世の中って「わからないこと」だったり、「言葉にできない」ことに対して風当たり強いなって印象を個人的に感じている。今はどうなのかはわからないけど、僕が大学生だった頃はわりとそういう環境だったなぁと思いますね。でも、それって前提条件として「わかるはずないじゃん」っていうスタンスから入ると、何かに触れる際に結構ラクだ。だってわかるわけないもん。わかったときは狂ったときだろうな。

ま、要はトゥールスレン収容所とキリング・フィールドを訪れて僕が伝えたいのは「やっぱりわかんなかったわ!」ということです。そして、この「わからなさ」から新たに視点がひらけていくのでしょう。

 

みなさん、わからないことってそんなに悪いもんではないかも知れませんよ。

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