いけちゃんの悪戯

日々のことをツラツラと綴るブログ

生きることはバラで飾らねばならない|人生に趣味は必要か?

先日、同じ社内の人と話していて気になったことがあったんだけど、それは「趣味がない」ということである。僕ではない。その同じ会社の人が「趣味がなくて困っている」というのだ。僕が「どうして趣味がなくて困ってるんですか?」と返すと、「だって、仕事が終わって家に帰ったら暇じゃないですか」と、その人。

なるほど、この会話は個人的にかなり興味深かったのである。ちなみに、自慢ではないが僕は仕事が終わって家に帰って「暇だ」と感じたことがほとんどない。だいたい自由な時間は、溜まっている本を読んだり、気になる映画を観てみたり、料理をしたり、休みの日も何かしらやりたいことをやり続けている。今年は家庭菜園や果実酒を作ることもやってみたり。なかなか忙しない毎日であるとは思うが個人的にかなり満足した日々を送っている自信はあるものだ。

さて、これらの僕の活動(?)は趣味と呼んでもいいかもしれないし、そうと呼べないものもあると思う。が、現時点においてなにをもって「趣味」と定義するかは、自分の中であまり折り合いが付いていない部分でもある。自己紹介のときの「趣味はなんですか」という問いには、だいたい『読書、映画、旅行、料理、器』とか書いているんだけど、まあ書こうと思えばいくらでも趣味の欄は書けちゃうと思う。だけど一方で、これは本当に趣味と言えるだろうかと考えることもあって、そもそも「趣味はなんですか」という問い自体がなにかしら破綻した定型文なのではないかとすら、思えてくる。

人生に趣味は必要か?

ただ、こういうと中には怒る人もいるかも知れないけど本読むことにしろ、映画を見ることにしろ、それらの営みは所詮人生の「暇つぶし」に過ぎないということだ。一体なにを待つために「暇つぶし」をしているのかというと、究極的に我々が待っているのは「死」である。ただし、毎日ぼーっといつか死ぬことを待っている人はまずいないだろう。皆それぞれが、仕事をしたり、本を読んだり、好きな人とドライブに行ったりと暇を潰している。そして、その間に忘れているのである。自分がいつ訪れるかわからない「死」を待っていることを。

 

だけど、話が戻ってその同僚の人が「趣味がなくて困っているんです。毎日いつか死ぬことが気になって仕方ないんです!」とは、まあならない(そりゃそうだ)。ここで僕が気になったのは、「趣味がないことは悪いことだ」というニュアンスが彼の言葉には含まれていたことだ。果たして、本当にそうだろうか。生きていく上で趣味なるものは必ずしも必要なことなのか。

生きることはバラで飾らねばならない

この問いに関連して、去年読んでとても面白かった本が一冊ある。それは國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』だ。その中で國分さんはイギリスのデザイナー、ウィリアム・モリスの次のような言葉を引用している。

 人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。

 モリスが生きたイギリス社会は、労働者が朝から晩まで働きづめでとても本読んだり、興味あることをするという余裕がなかった。しかし、労働者による社会主義革命はすでに目の前に迫っていて、産業革命に伴う労働者の不当な労働が崩壊するのは時間の問題であった。ただ、そこでモリスが考えていたのは、どうやって革命を起こすのかということだけでなく、不当な労働から解放された人々は与えられた余裕をどう使うかということである。そして、モリスが予見したのは、労働から解放され余裕を与えられた人々は結局はその余裕、暇をもて余すであろうということだ。なかなか頭の痛い指摘ではないか。

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 

モリスの生きたイギリス社会でも僕たちの暮らす現代社会でも、必要最低限の衣食住があり、ほとんどの人が不自由なく生きていくことが可能である。私たちは生きるためのパンをすでに持っているのだ。だが、人生はそれだけで十分かと言えば、僕の答えはNOである。やはり、僕は本を読んだり、好きな映画をみたり、気に入った器に食事をのせて楽しむというバラを求めてしまう。僕にとって文学のない世界や生活はちょっと想像できないし、それらを奪われた自分がどうなってしまうかも、やっぱりイメージできない。

 

ただ、それでもやはりバラは所詮「暇つぶし」「気晴らし」の道具なのだ。つまり、なくても大丈夫なのだ。趣味がなくて困っていることが問題なのではなく、「暇な状態である自分になにかしらの強迫観念が働いてること」が問題である。それについては、改めて國分さんの『暇と退屈の倫理学』を読んで頂きたい。

 

結論:趣味は無くても大丈夫だが、あった方が楽しい

極個人的な結論になるが、結局のところ趣味があった方がやっぱり人生は楽しいと思います。もちろん、本を読まなくても、映画を観なくても死ぬことは、まあ無い。だけど、それらに触れた自分とそうでない自分は、当たり前だけど全く異なった人間だと思うし、口に入れた食べ物が体に吸収されて、ぱっと見はわからないけど、分子レベルでは人は別物になっている。そんな感覚に近い気がする。

何でもいいけど、新しいものを取り入れて精神の新陳代謝を行うことは幸せに生きる上で重要なことのように感じるのは僕だけでしょうか。生きることはバラで飾られねばならない。僕は毎日家に帰って食べたいものを作り、好きな本を読み、休みの日は家庭菜園をしたり、果実酒を作ったり、年に何回かは海外旅行にもいけてしまう。そう考えると僕の人生は、たくさんのバラで飾られ、極彩色の色めきを放っているようだ。

そして、これからもまた一つずつ新しい色のバラが増えて、時には枯れていったりもするのでしょう。

 

来週は久しぶりに東京に行きます。念願のクリムト展も。参考文献も買ったので、早くその日になるのがとってもとても楽しみなのです。

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