いけちゃんの悪戯

日々のことをツラツラと綴るブログ

自由のために、運命を無視することについて

人は誰しもこの世に生を受けたならば、幸せに生きたいという願望があるはずだ。もちろん、幸せのカタチというものは人それぞれ千差万別なものであり、「これこそが唯一無二の幸福だ!」と言えるものは僕にはちょっと思い浮かばない。と、それと同時に唯一無二の不幸というものも存在しないのだろうけど、幸福であることよりも不幸であることの方がポンポンと頭に浮かびやすいと思うのは、僕自身の実感だ。

もっというと、人は幸せを求めるけれど、自分にとって一体なにが幸せなのか? という問いが生活の中に茫漠と横たわっている。自分にとっての幸福を暗中模索し続けることが世の常でもあると言えよう。実際、僕も日々この暗中模索の最中にいるわけなんだけど、個人的にまあまあ幸せな毎日を送れているのではないかと感じている。そして、そのまあまあな幸福を支えているのは、なにを隠そう「自由」である。

 

その自由が生活の中でどのように適用されているかだが、まずは人間関係でだと最近感じている。会社での飲みの誘いとか、歓迎会あたりの行事の参加であったりを躊躇なく断ったりね。別にお酒が嫌いとかじゃなくて(むしろお酒大好き)、やっぱり自分と相性が合う人と時間を過ごしたい、否、過ごすべきだという想いが最近になって強くなってきている。もしくは、他にどうしてもやりたいことがあるとか。

だいぶ前にテレビで、「最近の新入社員が上司との飲み会を断ることはどうなんだ」ということが議論になっていたけど、結局は飲み会に行ったにしろ、断ったにせよ、その結果に納得できるかどうかが重要だ。

選択するということは、何かを犠牲にして、何かを得るということに他ならない。そして、その犠牲と得るものを測る天秤を自分のなかにしっかりと携えてれば、けっこうラクに生きていけるんじゃないかなーって漠然と考えている。

 

ちなみに、僕が最近幸せを実感するのは料理をしているときです。特別なにかスゴイものを作っているというわけではなく、豚汁を作ったり、明日のお弁当ようにガパオライスを作ったりする時間って僕にとってけっこう至福な時間であったりします。何より、自炊はお金がかからないし、毎日続けることで料理スキルが上がったり、食材や調味料のバラエティが豊富になっていく光景は楽しいです。あとは料理って、どんなに簡単なものでも0から1にするという作業には違いないので、何かを「創って」いるという実感が心地よかったりします。料理は、2019年に始めて本当によかったなと思えることの一つです。

あとは、家の軒先で家庭菜園を始めたこととか。これらのことをするのには、やっぱり少なからず時間を割いているわけなのですが、自分なりの自由意志に従っているという実感はかなり強いんですよね。ゆえに、僕の生活は(今のところ)そこそこに幸せだと思う。

 

運命を無視する

で、話を整理すると、幸せと自由であることは強い相関関係があるということだ。そして、ここ数日はセネカの『生の短さについて』を読んでいたのだけど、そこにグッとくる文章がある。

われわれは自由を目指して脱出しなければならないのである。その自由を与えてくれるものは、運命の無視を措いて他にない。 

 

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

 

 

幸福であるためには、自由にならなければならない。そして、自由になるためには運命を無視することが必要であると。ここでセネカのいう運命が具体的になにを指しているのかを、まだ完全に咀嚼することはできていないのだけど、おそらく運命というものはあらかじめ用意されているレールのようなイメージだ。そして、そのレールを敷いたのは紛れもなく自分自身なのだけど、そこには育ててくれた親とか周りの人の期待とか、流行とかが強く影響している。自分が無意識に形成した運命というレールに一旦目を向けてみて、やっぱり自分のやりたいことがあるのならば、勇気を持ってそのレールを無視することって自分なりの幸せを掴む上でかなり大切な要素だと思うんですよね。 

というわけで、今年もがっつり運命をシカトして、やりたいことを目一杯やっていこうという所存であります。

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