いけちゃんの悪戯

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本当の「歴史」の話をしよう。/ C・ギンズブルグ『チーズとうじ 16世紀の一粉挽屋の世界像』

以前には、歴史家は「国王たちの事跡」しか知ろうとしないといって責められたものである。 

 この印象的な一文から始まるのは、イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグによる『チーズとうじ虫 ー 16世紀の一粉挽屋の世界像』である。

 

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

チーズとうじ虫―― 16世紀の一粉挽屋の世界像 (始まりの本)

 

 

ミクロストリア、あるいは微視の歴史学とは?

ギンズブルグは1939年にトリノに生まれる。彼は「ミクロストリア」の創始者とも呼ばれる。ミクロストリアとは「微視の歴史学」とでも言えようか。これまで多くの歴史が語られてきた。しかし、それらの歴史を語ってきたのは往々にして高層階級の人々、もしくは支配階級の人々ではなかっただろうか。ただ、それには理由がある。何故ならば高層階級の人々はきちんとした読み書きの教育を受け、資料として様々な文献を残すことができたからだ。ゆえに私たちが学校で教わる、社会一般常識的な「歴史」というのは、実は非常に一方的な視線から語られてきたものかもしれない。

そこに新たな視点を持ち込もうとするのが、まさしくカルロ・ギンズブルグである。彼が着目したのは、従来の「抑圧する側から語られる」歴史ではなく、農耕民などの「抑圧される側から語られる」歴史の存在である。

ただし、これら抑圧される側から歴史を知ろうとすることは、厄介な作業である。何故ならば、中世ヨーロッパの農耕民のうち読み書きができる人は限りなく少なく、テキストとしての資料が圧倒的に少ないからである。というか、資料を残す文化も必要もなかったのかもしれない。というわけで、被支配層から歴史を浮き彫りにしようという作業は、支配層から語られる歴史を浮き彫りにする作業に比べ、そもそも資料が有るか無いかの時点で大きなハンデを背負ってるわけだ。

 

しかし、ギンズブルグは不可能ではないと考えた。彼の、歴史を捉える手法はある時代の特定個人の記録を読み解くことに集中される。それがものすごい大雑把な解釈での「ミクロストリア」の特徴であり、同時にめちゃくちゃ面白いところなのだけれど、本書で彼がスポットを当てたのは16世紀イタリアの農村に暮らしていたある粉挽屋の男の物語であり、彼が宗教的異端者として裁判にかけられた末に火あぶりに処された記録である。

 

この男の名前はドメニゴ・スカンデッラといい、周囲の人々からはメノッキオと呼ばれていた。彼が暮らしていたのは、イタリア北東部のフリウーリ地方と呼ばれる地域で、現在はオーストリアとスロヴェニアに隣接している。彼はある一人の粉挽屋に過ぎなかったが、本を読むことができた。また、メノッキオは当時の宗教世界において(この時はルターが宗教改革をおこなってから数十年が経っていた)独自の宗教観/思想をもっており、とある叙任司祭の告発ゆえに裁判にかけられることになる。

異端審問官はメノッキオに、「誰がお前にそんな思想を植えつけたのか」と迫る。しかし、メノッキオは断固として「自分の思想は、自分が読んだ書物をもとに自分の脳味噌から引き出したものだ」と主張するのだ。

 

 ★★★

 

ギンズブルグが解き明かそうとするのは、メノッキオ独自の思想の源流が一体どこにあるのかという点にある。そのためにギンズブルグは、裁判の記録からメノッキオが「読んだ」と証言している書物を可能な限りリストアップし、その解読に乗り出す。

彼はメノッキオの思想の源泉が、フリウーリ地方にはるか昔から口頭伝承によって伝わるものだと見当をつけているんだけども、その正誤はなかなか判然としない。テキストに残っていない口頭伝承によって伝わってきたものをギンズブルグは「心性=意識のあり方」と言っていて、抑圧されてきた人々の意識のあり方を浮き彫りにすることにミクロストリア、微視の歴史学は挑んでいる。

「ずれ」を読み解く

しかし、テキストに残らない民衆の意識のあり方を探る方法は容易ではない。メノッキオの場合においても裁判の記録が残っているとはいえ、その記録を書いたのは裁判をおこなう側の人間であり、あくまで抑圧する側からこしらえられたフィルターが存在しているからだ。

ギンズブルグの考察が鋭さを増すのは、彼がメノッキオの読んだ(と思われる)書物の内容と、メノッキオが裁判で告白した内容の「ずれ」に注目する点である。

このような実際の書物の内容とメノッキオの解釈した内容の「ずれ」の原因に、テキストに残らなかった民間での口頭伝承の痕跡を見出すのが、ギンズブルグの手法だ。ちなみにこの「ずれ」のことをギンズブルグは「徴候」または「証跡」と名づけている。ゆえにギンズブルグの手法は「徴候解読型パラダイム」と呼ばれるらしい。

本当の「歴史」の話をしよう。

結論として『チーズとうじ虫』を読んで考えるところは、はるか昔から歴史はあったけれど、それらは抑圧される側から一方向的に語られてきた、もしくは形作られてきた可能性があるということである。もちろん、その歴史も正しい部分があるのだろうけど、それだけでは不十分で、私たちが認知している歴史って実はコテコテに歪められているものだったんじゃないかって思うとちょっとゾッとするものがある。そして、紛れもなく、その歴史の歪曲は現在進行形で行われているのだとも思う。本当の歴史というと少し大げさかもしれないが、学校の授業とかで使われる「歴史」っていうワードはかなり嘘とか虚飾に塗り固められているんじゃないかなぁと考えたりして。

カルロ・ギンズブルグの著作は、内容もなかなかヘビーですが、その材料がとても魅力的なので読んでいてとても楽しいし、ワクワクします。ちなみに続けて読んでいるのは『ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼』という本なのですが、タイトルからして個人的にめちゃくちゃ惹かれるものがあります。しばらくはギンズブルグの読書が続きそうです。

 

ベナンダンティ―16ー17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼

ベナンダンティ―16ー17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼